2016年12月12日の『全日本歌唱力選手権 歌唱王』で、中学3年生の西村実莉さんが1380点を獲得し、第4回大会の優勝を飾った。
今大会は今までと比べても非常にハイレベルで、どの出場者も素人カラオケとしては神レベルだったが、そんな中でも「カラー・オブ・ザ・ウィンド」を歌い上げた西村さん(動画参照)の歌唱力が頂点に輝いた。
西村さんの歌が素晴らしかったのは間違いないが、結果に不満が残った人もいると思う。それは番組で言っている「歌唱力」というものが、あくまで好みの問題でしかないからだ。
ここでは、「歌唱力を競う」と謳った番組に対して、いくつかの疑問が湧いたので、それについて論じてみたいと思う。(※出場者をディスるものではなく、どの歌も素晴らしかったから、最終的には好みと運の問題だよねいうお話です)
そもそも歌唱力とは何か?
番組内の審査結果から、日本一の歌唱力を持つのは西村さんに決定した。
しかし、そもそもポップス・演歌・オペラ・ミュージカルといったジャンルを、ごちゃまぜで審査して意味があるのか?という点には疑問が残る。
歌でひとまとめにしているが、ポップス・演歌・オペラ・ミュージカルを同じ土俵で審査するというのは、球技で言ったら野球・サッカー・バレー・バスケの中でナンバーワン選手を決めているようなものだ。こんことを言っては元も子も無いが、最後は好みの問題でしかないだろう。
個人的には、広島の中学一年生の『山河』(動画参照)なんかは、自分の世界観をしっかり作り上げられていて良かったと思うが、それも「あくまで好みでしょ」と言われてしまえばそれまでだ。
選曲の良し悪しが大きい
こうした審査競技において、選曲の良し悪しは非常に大きい。
本当に歌唱力を測るのであれば、「課題曲+自由曲」という形で、「技術力」と「表現力」を厳正に審査しなければならない。技術を測るうえで、同じ曲を課題として課すというのは常套手段であり、合唱コンクールや吹奏楽コンクールなどでも一般的な方式だ。
歌唱王においては、各自が自分の好きな曲を歌う形式になっているため、その曲が持つバックグラウンドが、どうしても審査する上での支障となってくる。
最も大きいのが、元歌を歌っている歌手の存在だろう。元歌を歌っている人の歌唱力が高すぎると、どうしても見劣りして採点競技では不利になる。
森山直太朗の『さくら(独唱)』や、中島みゆきの『糸』が良い例で、歌っている歌手の歌唱力が高いだけでなく、カバーしている人もたくさんいるため、どうしてもそれらの人と比べられてしまう。全く違う世界観を作れれば良いが、そうでないと歌唱力をプロと比べられてしまうので、非常に不利なことは間違いないだろう。
審査システムの偏り
また、審査システムにも悪い点が見られた。
今回の審査は、審査員の100点×10人=1000点と、一般視聴者の各メディア投票100点×5=500点の合計点数で行われた。
審査員投票はおいておくとして、各メディア投票の加点方法がなかなかにひどい。
視聴者は「〇」「×」で投票し、〇を投票した人の割合(%)が得点として加点される。極端な話、そのメディアを見ている人が1人しか居なかった場合には、その人が「〇」を入れれば100点となるし「×」を入れれば0点となる。投票媒体が分散しているため、その媒体を見ている視聴者の「人数」と「属性」に大きく影響を受けてしまうのだ。
ニコニコ生放送だとかPCサイトについては、投票している人数も少なく、属性も偏っていることと思う(偏見)。こうした審査方法の偏りから、少なからず結果に影響が出たことは否定できないだろう。
おわりに
ここまで、あーだこーだ言いはしたが、西村さんの優勝には文句がない。ラストであの「カラー・オブ・ザ・ウィンド」を聴かされたら、誰だって震えるよ。最初にも述べたように、今回は本当にハイレベル(過去比)で、どの出場者も素晴らしい歌唱力であったと思う。
各々思うところはあるかもしれないが、そもそも番組では厳密な歌唱力が測れないため、各々の心に残った曲をナンバーワンだと思えば良いのでは無かろうか。